私の全てを支配するのは、腹の底が焼けるような痛みと、惜しみなく漏らされる陶酔した吐息。じりじりと下腹部の感覚を麻痺させるように押し進む質量が、思考回路をあられもない姿に変えていくような気がして、私は瞼をきつく紡いだ。
「見て、。僕たちちゃんと繋がってる」
 現状では不釣り合いなほど安穏なブルーノの言葉付きは、私を追いつめるかのように優しい。後方へ倒れかけていた上半身を無理矢理起こされて、私はうっすらと視界に光を宿した。涙で滲んだ世界の先では、陰毛に隠された結合部が鮮やかに存在を示していた。辺りはぼやけて何が何だか分からないのに、そこだけ、理解したくない状態だけが、不思議なほど鮮明に映っている。
 荒い吐息は真っ昼間のキッチンを淫らな色に塗り替えていた。晒された生尻から伝わるキッチンカウンターのステンレスの冷たさはまるで私たちを卑下するかのようだ。開け放たれた窓から注がれる噴水のせせらぎ、人々の声。日常は外で何事もなく広がっているのに、私の身に起きてる事態は皮肉なほど非日常的だ。
 微かに腰を捩って浮かせたが、下腹部はブルーノによって固く捉えられていて、とても逃れられそうにない。ささやかな抵抗は、背後左右に置かれた調味料や食材を荒らしただけだった。襲いくる鋭い痛みから解放されたい。でも、ブルーノの性器はまだ半分程度しか埋め込まれていない。
「んん、ふ……っ」
のなか、すごくあったかいよ」
「い、たいッ……痛、い……!」
「ごめんね、あともう少しだからちょっとだけ我慢して」
 急き立てるように腰を強く押し込められて、口から漏れた上擦った声は悲鳴に近かった。この痛みを、果たして喜ぶべきなのだろうか。結合部から控えめに漏れる愛液は、太ももを伝い、カウンターを汚し、やがてフローリングにぽたりと落ちる。剥ぎ取るようにずり下ろされた下着は左の爪先でぶら下がっていて、窓から滑り込む風に煽られるたび、役目を奪われた悲壮感を滲ませた。
「ブルー……ノ、やだ、も、抜いて……誰かきちゃう」
「誰も来なかったらいいの?」
「ちが、そうじゃな…………、いっ……」
 腕や手のひらが身を護るために在るのだとしても、私のそれらは機能しないだろう。遅い掛かる痛みから逃避すべく固く握られた拳、そこに私の全ての力が集約されていた。足も腕も、抵抗の術を注射器で抜き取られたかのようにへなへなと震えるばかりで、とても役に立ちそうにない。
 みちみちと膣の中でブルーノの性器は存在を一際主張した。どうせなら性急に腰を打ち付けて来ればいいのに、スローで穏やかな挿入は私の残された理性を優しく愛撫する。身体も思考も痛がっているのに、脳は今にもとろけてしまいそうなほど熱い。彼の目的が根元までの包容、つまり最奥への到達なら……そのあとに残るのものは、なんだろう。
「はぁ……、しっかり目を開けて。ね、全部入ったよ」
 ブルーノは私の両腕を攫って首に廻させながら、嬉しそうに言った。私は肩に額を寄せて、残された有りっ丈の力で縋るように彼のシャツを掴む。臍の上部までたくし上げられていた白いワンピースの裾が反動で私たちを繋ぐ箇所を覆い隠した。
「あ、これじゃ見えないね」
 物言いはすごく無邪気で子供のようなのに、彼の瞳は欲を押さえきれない野獣の気色を秘めている。ブルーノは自分の身体ごと私を押し倒して、私たちの間にある程度の空間を作り出した。蠱惑的な彼の指先は私のウエストを舐めるように辿り、私の裸体を隠す砦、一枚のワンピースの裾に手を掛けた。何をしようとしてるのか想像は付いたのに、私は「あ、ああ」と情けない声を漏らすだけで何も出来ない。裾から徐々にワンピースが破かれて、結合部が、私の肌が、露わになっていく。びり、びりびり、布が上げる悲鳴が、厭に耳に木霊した。
「どう? これならよく見えるでしょ、ほら。が僕を全部飲み込んでるのが」
「あ……」
 ブルーノは私に見せつけるように腰を浮かせてみせた。破かれた裾は力無く左右へ崩れ落ちる。この体勢に加え、ブルーノが体重を掛けたことにより、より深く性器が押し込まれて私は呻いた。内臓を襲う圧迫感に顔を歪める。露わになったそこでは、二色の陰毛が絡み合ってモザイクのようになっていた。きっとねじ込まれている感覚が無ければ他人のもののように見えたことだろう。しかし、淫口と内部で広がるひりつくような痛みが、今、自分に起きてる紛れもない事実であると、語りかけてくる。あかりは点していなかったけれど、日光が残酷なほど眩く裸体と陰部を照らしてくれるせいで、そこはより鮮明に映った。
「はぁッ…はあ……」
「力を抜いて、
「ぶるーの……も、もう、やめ……」
「どうして?」
「だって、いたい」
「辛いのは最初だけだよ。直に気持ちよくなるから、ほら、息を吸って、吐いて」
 ブルーノに指示されるがまま私は深呼吸を繰り返した。気休め程度かと思っていたが、ブルーノが顔中にキスを落としていくのと極まって、切羽詰まっていた私の何もかもが緩やかに穏やかさを取り戻していく。腰を回され最奥へ性器の先端を擦り付けられると、若干の甘い快感が片鱗を見せたが、痛みはまだ私を捕らえて放さなかった。
 荒い息の中、私は電源が付いたままのテレビに目を遣る。ワイドショーが繰り広げられる画面の左上の時刻を何とか読み取ろうと試みた。

 いつの間にかブルーノの口許が耳元に寄せられていた。「ひどいなあ、こんな時に余所見だなんて」
 大袈裟に吹きかけられた吐息は、より敏感になった私の耳で魅惑的な熱を帯びる。何が可笑しいのか、ブルーノは「ふふふ」と笑って、私の耳の輪郭を軟骨から舌先でなぞり、穴にぐりぐりと差し込んで嫌ったらしく大袈裟に音を立てた。残されていた理性がそげ落ちるようだった。
「まだ大丈夫だよ――少なくともあと三十分は誰も来ない。ここにいるのは、僕とだけ。ねえ、もう動いてもいいかな?」
 問いかけはするけど、ブルーノは私の答えを聞かずに(とにかく痛いのだ。壊れてしまいそうなほど。だから私は首を振った)ゆるゆると腰を動かした。解すように、丁寧に。満足に濡らしもせず無理矢理ねじ込んできたくせに、どうして後々から優しくしてくるんだ。
「あぅ、ん、んん……っ!」
 変な気分だ。口端から唾液のように零れる淫声は、本当に私のものなのだろうか。
、かわいい。もっといやらしい声を聴かせて」
 緩慢だったブルーノの腰は次第に速さを携える。膣口から大袈裟に引き抜いて奥まで差し込んだり、私が感じる内部をしつこく攻め立てながら、彼自身も絶頂へ向けてピストンを繰り返した。
 膣を抉られるにつれ、徐々に私も痛みが快楽へ移り変わっていった。ブルーノにしがみついて、下半身から来る、脳天まで突き上げられるようなビリビリとした感覚を味わう。結合部では粘り気のある液がじゅぷ、じゅぽ、と水音と共に淫らに泡立っていた。

「あ、あああ、ぶるっの、やだ、こんなの」
「うん?」
「誰かに、見られたら、は、ぁ……」
「うん、うん」
「ねぇ、やめッ……はん、もっと……ゆっくり、うぅッ」
「うん、うん」
 ブルーノは上の空のように見えた。目の先の快楽のみを追い求めているような。確かに、今更止めろと懇願されても男としてみれば困るだけだろう。ただ私は怖くなったのだ。何だかんだで行為の収束が見える頃になって。お互いが熱を吐き出したあと、進んだ道を振り返って見えるものは、スタートライン? それとも、千切れたゴールテープ?
 ブルーノは身を屈めて私の鼻に噛み付いた。甘噛みなんてもんじゃない、歯形がくっきり残りそうなほど、強く。私は半ば反動的にブルーノの髪を鷲掴みにした。この反抗は、ブルーノからしてみれば求められていると感じたことだろう。現にブルーノは意図的に避けていた私の口唇へ、貪るような余裕のない口吻を突き付けてきた。上の口も下の口も塞がれた。舌先をしつこく吸い上げるブルーノに私は翻弄される。全身がまるで性感帯になったみたいに、肌が擦れ合うだけで弾けてしまいそうだった。
……っ、どうしたい」
 乳房を覆い隠していたブラを上にずらされ、ブルーノは露わになった二つの山をやわやわと揉みしだいた。固くなった乳首をこりこりと指先で抓られると、きゅう、と中が伸縮するのが自分でも分かった。
「イきたいよね?」
「ふぁっ、あ──、」
 私は小さく頷く。頬が熱湯のようだ。溶けてしまいそう。
「…………僕もイきたい」
 蚊の鳴くような声、だった。
 身を起こし、私の腰を掴んで強引に引き寄せると、彼はより一層力強い律動を始めた。はしたなく開かれていた私の両足を掴んで、昂ぶった性器を余すことなく私のなかに押し込んでは引き抜く。ブルーノの脈動は私を掻き乱しながら、今はち切れんばかりに吐き出したい欲望を肥大させていった。身体を激しく揺さ振られて、零れる唾液と涙を拭いもせず、爪先を丸めて、私はただただ喘いだ。遠慮のない挿入に、積もりに積もった快感が目の前を白い閃光となって駆け抜ける。
「ひ……ッん、んぅっ――――!!!」
 身体は小刻みに跳ね上げ、両脚はがくがくと震えた。膣がどくんどくんと脈打って、ひだがブルーノを搾り取るかの如く絡み付く。きつく締め付けられるような刺激が堪らないのだろう、ブルーノは「くぅ……っ」と息を詰まらせて、三度ほど私へ腰を打ち付けた後、呆気なく果てた。
 生暖かい液体が大量に注ぎ込まれる感覚に、意識がぐらりと揺れる――中に出しやがった、こいつ。
 ブルーノは息の乱れを整えながら、ひくひくと脈打つ生物のような性器を名残惜しげに引き抜いた。中を圧迫していた元凶がずるりと後退していく艶めかしさに私は身を震わせる。矢先、暴かれた膣から白濁の液体が溢れ出た。
 凍り付くとは、まさにこのことなんだろう。
 時間にしてみればほんの数秒間のことだけれど、私たち二人からしたら、それは24時間にも100万年にも思える、長い間だった。冷えた空間に乱れた息だけが反響している。テレビから漏れる司会者の笑い声も、外から飛び込む人々の雑踏も、通り過ぎていく。
、」
 ブルーノは私の頬に手を添えた。ぽかんと空いたままの唇に、ブルーノのそれが近づいてくる。
「…………気持ち、わるい……」
 ぎり、と歯を食いしばった。犯され汚され――頬に触れる手のひらは、水に流せば愛でられるとでも言うのか。どう接すればいい。どんな顔をしたらいい。振り返って、それからどうなる……。私は残された気力を振り絞って、迫り来るブルーノを蹴り倒した。
「…………ごめん」
 力無く尻餅をついたブルーノが呟いたのは、それだけ。



 私はあの一件が起きた日をどう呼ぶか、迷っていた。犯された日を何かの記念日のように呼称を付けるなんて流石に自分でもどうかとは思う、それでも何か、あの日の記憶をどこかへ置き去りにするために、或いは何かに刻み込むために、必要だと考える。
 というわけで、絞りに絞った(といっても三つしか浮かばなかった)三つの呼称を紹介する。
その1、レイパーブルーノ誕生!
その2、陵辱中出し日和
その3、ブルーノちゃんとイケナイ☆昼下がり
 ………うん!
「どこのAVだ!! きもい!」
 手帳を思い切り地面に叩き付けて盛大なセルフツッコミをかました。これが結構虚しいものである。しかも目の前には頭を抱えながら帳簿をつけるクロウが居たこともあって、薄ら寒い雰囲気はより一層悲壮さを増す。
「何だよいきなり白昼堂々…………」
「……独り言だから気にしないで」
 床で侘しく横たわる手帳を拾い上げて、ぱらぱらとページを捲る。さあ、気を取り直して、呼称を決めよう。どうも変態的なネーミングしか浮かばなくて困る。もういっそのこと固有名詞に拘らないで、何か印をつけるだけでもいいかもしれない。うん、そうしよう――私は赤いボールペンで、情事のあった日付の欄に小さな丸を描いた。
 その日付の下にある、連続して日付を縁取る円をひぃ、ふぅ、みぃ、と数える。そして今日の日付にもそれらと同じように円を描いた。キャップを閉じて、そのまま手の中でボールペンをぐるぐる回していたが、クロウに貸してくれと言われたのでひょいと手渡す。クロウが礼を言ったあとは沈黙だったので、てっきり数字と睨めっこしてるもんだとばかり思っていたが、違った。クロウは難しいことでも考えるように眉間に皺を寄せて、私をじっと見つめていたのだ。
……お前さ、何かあった?」
「うぇ?」
「なんつーか、嫌に落ち着いてるっつーか」
「まるで私がいつも落ち着きないみたいじゃん」
「実際そうだろ」
「ひっど」
 クロウは一瞬相好を崩したが、含みを持った吐息と共に口許を強張らせた。
「あの白いワンピースも見なくなったしよ……お前あの服気に入ってよく着てたじゃんか」
「あー……あれ。実は納豆零しちゃって酷い有様なんだよね。ねーばねば」
「お前納豆食わねえだろ、ってか洗えよ」
「じゃあミートソース零しました」
「じゃあって何だじゃあって」
 ヒヤリと滴るような視線を感じて、私はその先を一瞥する。確認するまでもないけれど、送り主は紛れもなくブルーノだった。決まりの悪さを内に抑えられないのか、惜しげもなく焦燥に駆られているであろう感情を体外に放出している。口許はうねうねと波打つような状態のまま閉じられ、WOFを弄くる手先は時が止まってしまったかのようにぴくりとも動かない。
「別に何でもないんだ――うん。心配かけてごめんね、クロウ。ありがとう」
 ブルーノと私に生じた不和に、きっと誰もがそれとなく感づいた事だろう。鼻に残された歯形が消えるまでは口をきかなかったし、久しぶりにおはようおやすみを言ったのは、今日からそう遠くない。視線は逸らし逸らされ、スキンシップも桁外れに減っていた。普通に接するなんて、私よりもブルーノが無理なんだろう。あの日の蹴りを、ブルーノは残酷かつ冷ややかな拒絶と受け取ったことだろうし、そうさせたのは紛れもない自分自身だった。
 それでも日常の変化はその程度だ。変わらないのは、私とブルーノを紡ぐ一本の線以外の全て。何事もなく朝が来れば夜が来て、その繰り返し。私もブルーノもガレージに身を置いていたし、どちらも出ていこうなどと考えはしなかった。お互いに心の何処かで、近くにいればいつかは元通りになるのではと、確証のない希望を抱いていた。破かれたワンピースを手繰り寄せて縫い付けるように、壊れた関係を接着する材料さえ見つかれば元の形に収まる、そう信じて。
 沢山の日常と思い出が過ぎ去っていった。
 私たちは結局、WRGPが始まるまで、そして決勝戦へ駒を進めるまで、あの日から一歩も動くことはなかった。修復の一人歩きなど、あり得ないのだ。己自身で行動を移さぬ限りは。



 痣がないのは龍亞もブルーノも同じだ。私だけじゃない。けれど、龍亞は龍可と双子の兄妹で、シグナーと血縁、つまりは二人で一つに近く、赤き龍に護られたことのある、これからの可能性を秘めた決闘者であることは確かだった。
 私と言えば、ガレージメンバーとマーサハウスからの好みという繋がりしかない。イリアステル等の関連事項を熟知してはいても、何の力もない一般人と変わらない。だから私はブルーノに対して、勝手な親しみを感じていた。記憶喪失で、メカニックとしての腕は凄いけれど、特殊な力は宿していない彼を、同居人以上の目線で見ていた。ああ、私にいちばん近いひと、なんて、暖かみを含ませて。
 ブルーノは私を、どんな風に見ていたのかな。



 決勝戦まであと数日と迫った夜、自室のベッドの上に不自然に置かれた紙袋は、奇っ怪な様相を呈していた。一体なんだろう。私は恐る恐る紙袋の口を閉じるセロハンを剥がした。中に入っていたのは、妊娠検査薬と、真新しいノースリーブの白いワンピース(破かれたものとは違う。でも似てる)、それから小さく折り畳まれた手紙。名前は書かれてなかった。書くまでもないと判断したのだろうか。
 手紙の内容はこうだ。「海岸で待ってる」海岸って、どこのだよ。
 私は深い溜息をついた。時計に目を遣る。時刻はもうすぐ明日を迎え入れようとしている。彼専用のDホイールはガレージに置かれたままだし、徒歩となればそう遠くへ行っていないはずだ。私は白いワンピースに着替えてその上にカーディガンを羽織る。途中、ワンピースからなにやら白い紙くずのようなものが出てきた。また手紙だろうか、少し期待して、ぐしゃぐしゃのそれを拾い形を取り戻させていく。割れ物でも扱うかのように、そっと。
――――なんて不器用な男なんだろう。瞬時に出た感想が、それだった。
 紙くずの正体は二枚のレシートだった。それも大分前の……、記されいる日付は、あの日から三日後――。
 値札はきっちり取ってあるくせに。ああ、なんて本当に、不器用なんだ。
 私は苺を模したサンダルを履いて、彼の不安を除くための”証拠”と、検査薬を持って、ブルーノが待つ場所を探しに行く。月が綺麗だ。


そ し て 終 息 す る ひ と つ の 恋


「良いこと教えてあげる」
 探索から発見まで、大して時間は掛かることなく、どちらかといえばどうやって声を掛けるべきかの方で時間が食ったのは間違いない。手間を掛けさせやがって、それは砂浜で胡座をかくブルーノに対してより、二人の微妙な距離感へ対しての当てつけだ。結局、私はブルーノの後頭部に持ってきた”証拠”を投げつけることで、息の詰まるような空間から抜け出すことに成功した。あでっ、とブルーノの間抜けな叫びと、私の第一声は、潮臭い風と共に私たちの頬を緩く撫でて過ぎ去る。
 私が投げつけたのは手帳だった。支出や収入、出来事や予定が大雑把に書き込まれている。生理も、同様に。ブルーノは手帳を拾い砂を払う。
「折れてるページ開いてみて」
 言われた通りにブルーノはぱらぱらとページを捲った。手が止まる。砂浜を踏み締めて、私はブルーノの隣に佇む。
「……あ」
「あのあとちゃんと来たんだよ、生理。今月もその前も」
 だからこれは必要なし、そう言って、私は蒼い頭に未使用の箱を乗せた。それは前頭部をゆるゆると滑り落ち大きな手のひらに収まる。ブルーノは言葉を失っているように見えた。探しているだけかもしれない。私はそれ以上何も続けなかった。彼の喉から言葉が発せられるのを、サンダルを脱ぎ、冷たい海水とぱしゃぱしゃ戯れながら待つ。元々私を呼び出したのは向こうなのだ。
、今思ったこと、言うね」
 ブルーノの足の上では一匹の子猫が心地よさそうに座り込んでいた。喉を撫でられてごろごろと嬉しそうに鳴く。幸せに満ちた面持ちは、以前よく目にしたブルーノの笑顔と重なる。居た堪れない既視感にぎゅうと胸が締め上げられて、海水から避けるように裾を摘み上げていた手に力が篭もった。
「ホッとしたんだ。でも同時に、凄く残念だ……そう思った。僕のものになればよかったのに、君を独り占めできたのにって」
 語尾になるにつれて俯いていくかんばせは今にも泣きじゃくりそうな悲痛さが滲んでいた。驚き、戸惑い、罪悪感――それらを纏めて箱に閉じこめて、出てこないように鍵を掛けたいんだろう。
「ひとつ聴くけど、私を抱いたこと後悔してる?」
「あれはレイプだよ」
「私からしたらどっちでも同じだよ――ねえ、答えは?」
 押し寄せる漣のように、私はブルーノを急かした。再び彼に背を向けて、水面で煌めくシティのネオンと星々と月明かりの交じった輝きを静かに蹴り水滴を飛ばす。ねえ、どうなの。怒らないから言ってごらん。仕草の一つ一つに言葉を含ませる。
 ブルーノは何かを口にした。でもそれは漣に負けて私に届かない。私は聞き返そうとしたけど、ブルーノの温もりに浸る子猫がにゃあと鳴いたので、押し黙った。きっとそれは子猫なりの応援なのだと思う。大胆と臆病が極端な彼へ向けての。きっとブルーノも同じ事を思っているはずだ。もう一度発せられた言葉は、透き通るように私の耳に届いた。
「嬉しかったんだ。君とひとつになれた、それだけが」
「そっか、よかった」
 よかった? ブルーノは疑問符を頭上に浮かべる。私はサンダルを履いて彼に近づいた。上目遣いはどこかばつが悪そうで、彼は視線を泳がせる。猫を拾い上げて語りかける、そこ代わって欲しいんだけど、いいかな。猫は鳴く。砂の上に下ろして、私はブルーノの空いた胡座の上に乗り上げた。
「少しだけそっぽを向いててね、かわいい子猫ちゃん」
……?!」
 頬を両手で包み込むようにしてやると、ブルーノの頬は瞬く間に赤く染め上げられた。改まって初な反応に私は不敵に微笑む。たじろぐブルーノが停止を求めるけど、抵抗は許さない。これは私なりの仕返しだった。そっと瞼を潰して、湿る口唇を押し当てた。彼の中を探る私の舌先は優しく緊張を解していく。彼があの時してきたような、貪るような、欲深い口づけを真似て。
、こんなところで……っ」
「なにを今更。私のこと存分に犯しておいて」
「それはその……ごめん……」
「中に出しやがったくせに」
「ごめんなさい……」
「もし妊娠したらどう責任取るつもりだったの?」
「うう……」
「鼻に絆創膏貼り付けるはめになったし」
「えっと、」
「みんなからどうしたのって質問攻めだったし」
「……やっぱり怒ってる」
「当たり前でしょ。無理矢理突っ込んでくれたおかげで、暫く腰とお尻は痛いわひりひりするわで最悪だったんだから」
 叱られて、体躯を小さく萎ませる姿は少しいじらしい。私は滑るようにブルーノの首筋に口唇を寄せてがぶりと歯を立てた。ブルーノは唸って私の二の腕を掴んできた。引き剥がされるのかと思えば、違った。彼は二の腕を掴んだ手のひらを離して私をきつくきつく抱き締めたのだった。
 緩慢に首筋から顔を離して、出来上がった噛み跡を指でなぞる。私の歯形はくっきりと形を主張して残った。微かに滲んだ鬱血が生々しい。私はもう一度お互いの唇を塞ぎブルーノの股間をまさぐる。手探りで辿り着いたファスナーに手を掛け、くつろいだそこから手を差し込み、まだ柔らかい性器をやわやわと刺激してやるとブルーノはキスの合間に生まれた隙間から堪らなく愛おしそうな吐息を漏らした。「」、私の名を呼ぶ声は何故か淀みを含んでいる。与えられる快感にブルーノの性器は形を持ち始め、先走りを鈴口から垂れ流し、主張する。包まれたい。包まれながら達したいのだと。
 ブルーノは私の尻を撫でて下着の上から秘部をなでつける。その艶めかしい指の動きは、まるでおねだりだ。
「ブルーノ、どうしたいの?」
 訊ねれば、彼は挿れたいのだと懇願してきた。私は静かに頷く。子猫の姿はもう無い。


 歩こうか。
 私の手を取ってブルーノはそう言った。確かめ合うような性行為のあとの世界はどこか輝きが増したような違いが見受けられる。彼は一体何処へ行こうとしているのだろう。歩みを止めないブルーノに、私は憂いを帯びた眼差しを送る。
 その眼差しに気付いたのか、或いはただの偶然か。応えるようにきつく絡められた指は胸を締め付けるような哀愁があった。今の彼は何処か儚げな印象を抱かせる。風が吹けば飛ばされてしまいそうなほどに、弱く、脆い、そんな印象を。
「ブルーノ、私たちずっと一緒だよね、ずっと、ずーっと」
 質問と言うよりは、願いだった。絵空事に過ぎなくとも、私の望みを集約させた。未来の存在を信じ、それが私自身で、彼自身であるように。この感情が煙のように高く高く立ち上っても、薄れ消えることないものであると、肯定して欲しい。
「…………、」
 酷い胸騒ぎだった。それは存在のないおぞましい現象がざわざわと五感を浸食していく感覚に似ている。体内を巡る脈動が焦りと不安に満ちていく。嫌な予感がする。

「ごめんね」

 もうすぐ夜が明ける。



わたしがいちばん欲しいもの
それが何だかあなたは知ってる?
痣よりも、絆よりも、愛よりも、欲しいもの
永遠だよ、永遠
地平線の向こうでとろける太陽と海
ブルーノ、あなたの中で永遠ってどんなもの?

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