たまにはそんな日も
ある日の晩、遊作の部屋でのこと。
サイドボードのスタンドライトが仄かな明かりを灯す部屋の中で、はベッドの縁に腰をかけて、何をするでもなく膝の上に肘を乗せ頬杖をついていた。ぼうっとした視線の先にあるのはバッテリーの切れかけた携帯電話。足元に転がるそれを、ただなんとなく、観察していた。
「何してるんだ」
バスルームから姿を現した遊作は、タオルを肩にかけ、上半身裸に寝巻きのズボン姿という出で立ちでベッドに膝をつき、後ろからの足元を覗き込んだ。洗ったばかりの湿った頭部から放たれる甘美なシャンプーの香りにくらりと眩暈を覚えながらも、彼女は「携帯、充電してるの」と言った。
「そんな風に見張ってなくてもいいだろ」
そう言いながら遊作は肩のタオルを手に取り、髪をわしゃわしゃと掻いた。投げ捨てるようにタオルを放ると、椅子の背もたれにかけたままの上着に袖を通し、当然のようにの隣に腰を下ろす。急遽泊まりの予定に変更したため、着替えを持参していなかったは寝巻き代わりに遊作のシャツを拝借していた。一回りほど大きいサイズのシャツから露出する太腿がオレンジ色の明かりに照らされ、艶かしい色香を漂わせている。
「なんか、じーっと見ちゃうんだよね」
自身の太腿をいやらしい目で見られているとは露程も思わないは、足元の携帯電話を眺めながら呟く。
「充電がどんどん溜まっていくとことか、増えてく数字とか、不思議と眺めちゃうんだ。そもそも、暗いところにぼんやり浮かぶ明かりを見るのが、好きなのかも」
暗いところに浮かぶ明かり、とは言っても、部屋の中はスタンドライトの照明に溢れている。真っ暗とは言い難い。
遊作は両目を細めると、片手をサイドボードに伸ばしてスタンドライトのスイッチを切った。
「んおっ?!」
いきなり部屋の中が暗闇に沈んだために、は動転して悲鳴を上げる。
「ちょっと、なんで急に電気消すのさ」
「暗い中に明かりが点いてるのが好きなんだろ」
「いや、これはちょっと真っ暗すぎない?」
慌ててスタンドライトに手を伸ばそうとするも、遊作の手が彼女のか細い手首をぐっと掴んでそれを阻んだ。真っ暗闇の部屋の中で、男女が二人。恋仲になってから何度も遭遇してきた状況とは言え、いざ情事に挑むとなると緊張を覚えてしまうのは若さ故だろう。慣れない暗闇の中で、鼻腔を擽るシャンプーの香りが近い。静まり返った室内に反響するかのような吐息が、の頰にかかる。
「ゆうさ、く」
何をされるのかと身構えた所で、やんわりと湿った唇が重ね合わされた。薄く開いた唇を割って、遊作の舌が入り込む。目を閉じて、はそれを受け入れた。ねっとりと絡まる舌先が口の中をまさぐり、淫靡な水音を立て、互いの鼓膜を刺激する。
じっくりとの口腔を堪能した後で、遊作は緩やかに口唇を離した。押し倒されて、このまま、だろうか。の心臓が激しく脈打つ。だが、遊作が取った行動は、予想とは全く違うものだった。彼女の体躯を引き寄せて、自分の胸の中に押し付けるように抱きしめてきたのだ。息も止まりそうなほど、強く、きつく、深く。
「ど、どしたの、遊作」
「いや……」
「…しないの?」
「したいのか?」
逆に問い返されて、は口ごもった。それから小さな声で、「それは、その、えっと…」と答えた。気恥ずかしさからか、声色は淀んていた。
「かわいいな」
遊作の両手がの腰を掴んで、ひょいと身体を自分の膝の上に乗せた。そしてまた、ぎゅうと抱きしめる。
「その前に、充電」
「充電?」
「俺も今、充電中」
かわいいのはそっちの方じゃないか。は脳髄を掻き乱すようなシャンプーの香りに耐えるように、軽く歯を噛み締めて悶えた。首筋にかかる吐息がくすぐったい。
「遊作の充電、どのくらいかかるの」
「…三時間くらい」
「ながっ」
「旧式なんだよ」
の突っ込みに間髪入れず応じると、彼は自分の言葉の何がおかしかったのか、ふ、と静かに笑った。
遊作らしからぬ甘えたな立ち振る舞いになんだか何も言えなくなって、は黙ったまま遊作の背中に自分の手を回した。すっと綺麗に通った背骨に指を這わせると、耳許で彼は「それ、感じる」と囁く。思わず、手が止まった。
二人はそのまま言葉を失って、暗闇の帳の中で寝具の上に倒れこんだ。
そして、何をするでもなく、抱き合ったまま朝を迎えた。たまにはそんな夜があってもいいだろう。
翌朝、先に起きたが洗面所で顔を洗い歯を磨いていると、開ききらない瞼を携えたの遊作が背後から現れ、のっそりと顔を洗った後に歯ブラシを咥えたかと思えば、少しどころか相当に不満げな様子で溜息を吐き始めた。何度も何度もこれ見よがしな溜息を、に誇示するかのように。
「どったの、そんなに溜息なんかついて」
口をゆすぎタオルで水滴を拭ってから、は問う。
「いや……」
遊作は歯を磨きながら横目での無防備な姿を目に焼き付けていた。だぼだぼのシャツ、晒された首元に浮かぶ骨ばった鎖骨、シャツの裾から覗かせる肉感的ですらっとした脚。各々のパーツを確認するかのように目を配らせて、また溜息を吐く。
「やっぱり昨日の夜、何かしておけば良かったと思って」
何か、が何を指すのか瞬時に理解して、は顔を真っ赤に染め上げた。
「な、何言ってんの、もう」
狼狽えるを尻目に、遊作は蛇口を捻る。口いっぱいに水を含んでゆすぐと、乱暴に口許を拭い、それから鏡に映る彼女の姿に向かって、ぶっきらぼうに言い放つ。
「俺は今からしてもいいって思ってるけど」
「んなっ…!」
朝からなんちゅう事を言ってのけるのだ此奴は。寝起きとは到底思えぬほど積極的な遊作の誘い文句に、胸が疼くのを感じた。そういえば朝にしたことってなかったような…いやいやそういう問題じゃなくって!はかぶりを振って、場の空気を濁すように咳払いを零す。
雰囲気に流されまいとするの姿が愛おしくて、遊作は昨夜のように彼女の体躯を抱き寄せた。
「こうやってきつく抱きしめられるの、好きだろ」
忍び笑いを漏らしながら、の耳元で嘯く。
「きつく締め付けられるのは、俺も好き」
今度はが溜息を吐く番だった。
「……遊作のえっち」