窮屈なサテライトの生活に嫌気がさしてあの瓦礫の街を出たと言うのに、いざシティでの生活を送ってみれば厳しい監視下におかれた挙句、道化のキングとしての道を歩まされていた。全ては不動遊星をシティへと赴かせるための伏線に過ぎなかったのだ。

 だからと言ってジャックが腐ることは無かった。その事実に狼狽えることなく、だったら今度は本当のキングへの道を見つければ良いのだと思ったのだ。そして、新たな出会いや世界の命運をかけた戦いに身を投じるたび、一度崩壊したアイデンティティを彼は再度手にすることができた。WRGPの幕は閉じ、シグナーたちは新たな道をそれぞれ見つけていく。ジャックも唯一絶対王者のキングとして君臨すべく、戦いの舞台を世界へと移す決意をした。

 だが、未だに彼はには一度も会えずにいた。否、語弊がある。まだ己には彼女に会う資格がないと思っていたのだ。

 病室で再会の約束をしてからおおよそ二年という年月が流れていた。それでもまだジャックはに会いに行けずにいた。気まずい、と言うわけではない。どちらかといえば飛んででも会いに行きたかったし、息苦しくなるほどの熱い抱擁を交わしたかった。だが、どうにもタイミングが掴めない。WRGPで優勝したら…不動遊星に勝てたら…、などと自分に次々と制約をかけていたのだ。そして今度は、本当のキングになれたら、だ。に会うに値する男になるには、まだまだ自分は不完全であるように思えた。

 そして一つ、自分には改めてつけなければいけないケジメがある。不動遊星に対し、サテライトでのあの出来事に対する謝罪の言葉を述べるべきなのだ。













 新たな旅立ちの前に、ジャックは遊星をシティを一望できる展望台へと呼び出していた。いつぞやかに訪れた所とは違い、ここだけはあのサテライトでさえもよく眺めることができる。沈む夕焼けに照らされたサテライトは、以前と打って変わって、彩りに満ちたあざやかな表情を見せていた。もう、かつてのような憂いに満ちた瓦礫の街でないのは明らかだった。

 こつ、と革靴が地を叩く音がし、ジャックは振り返る。黒いジャケットを身にまとった遊星が姿を現した。

「すまないな、遊星。忙しい中わざわざ時間を割いてしまって」

「いや、大丈夫だ。それよりどうしたんだ、ジャック。改まって話だなんて」

 遊星は凝り固まった肩を解すように背伸びをすると、リラックスした面持ちでジャックの隣に立つ。そして柵に腕をかけ寄りかかり、「いい眺めだな」と言葉を零した。一時期の不仲とは打って変わって、彼らの間には信頼や、友情を超えたかけがえのない絆が存在していることを、遊星は身をもって体現していた。

「遊星、俺はお前に謝らなければならない」

「何をだ?」

「サテライトでのことだ」

 組んでいた腕を解き、ジャックは遊星に向かって深々と頭を下げる。

「あの時はすまなかった。謝罪が遅くなったことも詫びよう。本当に、すまない」

 誠心誠意、ありったけの謝罪の意を込めたジャックなりの言葉だった。デュエルを通して語り合い、言葉を交わさずとも分かり合えることが出来たとしていても、旅立つ前にどうしても言っておかなければならなかった言葉。

 ふ、と遊星が笑った。

「なんだ、今更。気にしてたのか?」

「…当たり前だ」

「まあ…俺は最初から気にしてなかったけどな。あれはお前が選んだ道だったんだ。誰にも責める権利はない。寧ろ、お前があの道を選ばなければ、俺たちはこうして穏やかに話すことさえできなかったんだ。今となっては、感謝してるよ」

 だから顔を上げてくれ、ジャック。遊星は優しく諭す。ジャックはその言葉に心が救われる思いだった。ゆっくりと上体を起こす。恐る恐る視線を遊星に移すと、彼のかんばせは言葉通り、曇りない晴れやかなものだった。一つ、心を縛り上げていた鎖が外れた気がした。

「ああ、でも、まだ返してもらってないものがあったな」

「Dホイールのことか?あれならもう…」

「違う、そうじゃない。物じゃないんだ」

 物じゃない?ジャックは頭上に疑問符を浮かべる。遊星から奪った物は確かにあのDホイールとスターダストだけで、他にはないはずだ。何の話だ、と言わんばかりの表情を浮かべるジャックに、遊星は肩をすくめてみせた。やれやれ、とでも言いたげだった。

「俺もお前と同じ気持ちだったんだ。みんなと同じように…いや、それ以上に大切で仕方なかった。愛してるとか好きだとか、そういうのとはまた違うんだろうが、とにかく大事で、とても大切だった」

「……のことか?」

 遊星は静かに頷くと、ポケットから皺の寄った封筒を取り出した。それをジャックに向けて突き出す。

「俺の場合は近くに居すぎて…ダメだったんだろうな」

 ジャックは遊星から封筒を受け取る。白地に淡いピンクの花の柄があしらわれた可愛らしい封筒、右下に小さな丸文字が添えてある。”ジャックへ”、見覚えのある字体だった。紛れもない、の字だ。

「遊星、これは…!」

 胸がざわつく。驚きのあまり、声を張り上げた。

「だいぶ前に預かってたんだ。ジャックに渡してほしいと」

「お前、ずっと持っていたのか?!」

「渡すタイミングが掴めなくてな」

 これでおあいこだろう?、と遊星は不敵な笑みを携える。

「俺にだって譲りたくない物くらいある。それがこれだったんだ。でももう、それもお終わりだ。お前の謝罪も聞けたしな。潮時だ」

「遊星…貴様…」

「そう怖い顔をするなよ、ジャック。ああ、もちろん封は開けてないし、何が書いてあるのかも聞いてない。それを確かめるのは、お前の役目だ」

 富も名声も手に入れた二人が、望んだ唯一無二の愛。水面下で争われていたの所有権。欲しても欲しても、手に入れることが叶わなかったの心。その答えの全てが、この手紙に記してある。見るのが怖いか?と遊星が問う。安い挑発だった。ジャックは破るような勢いで封を開けると、全文に目を配った。の綴る言葉、文章、一つ一つに血液が沸騰するような感覚を覚えた。

 全て読み終えてもジャックは無言だった。何も言えなかったのだ。だが、遊星だけは全てを見透かしているかのような口振りだった。

「あれからの心は、お前に奪われたままだ」

 遊星は固まったままのジャックの肩に、ぽん、と手を乗せる。

「お前がいらないって言うんなら、返してくれないか?」

「…っ、断る!」

 心を縛る鎖は今、全て解かれた。遊星の手を乱暴になぎ払うと、ジャックはなりふり構わず駆け出した。

 資格だとか覚悟だとか、そんなのどうでもよかったのだ。ただ世界で一番愛おしい女を、本能が赴くままに、ありったけの愛を携えて、会いに行けばよかっただけなんだ。



***




”拝啓、ジャック・アトラス様。如何お過ごしでしょうか…なんてね。こんな書き方じゃ堅苦しい文章になっちゃいそうだから、自分なりの言葉を綴ります。書き直すのはこれで何回目だろう。なんかね、書いても書いても納得出来る内容にならなくってさ。手紙って難しいね。それはそうと、私はジャックの活躍をテレビで見たり、遊星やクロウやマーサや雑賀さんから聞いていたりしました。WRGP優勝おめでとう、それと、ネオドミノシティを救ってくれてありがとう。私の住むこの街は今も平和です。それはあなたの、あななたちのおかげ。本当にありがとう。ジャック、私ね、ずっと待ってるんだよ?約束覚えてる?また会おうねって約束したよね。それなのにジャックは未だ私の前に姿を見せてくれません。久しぶりにこっちに来たかと思えば私に会わずに帰っちゃってるらしいし?ちょっとひどいくない、それ。

まあでも、それもきっとジャックなりの考えがあってのことなんだと思うから、特別責めたりはしません。あのとき、遊星がジャックを責め立てなかったようにね。

実を言うと、ネオダイダロスブリッジが完成した今でも、私はシティにいく勇気がありません。もうサテライトとシティを分け隔てる壁はないけれど、私の住む場所は今も昔もこのサテライトだけ。それに、私は待ってるって言ったよね。だから今でも待ってるよ。いつしか二人であのネオンを見に行った、あの瓦礫の上で、毎日待ってる。この手紙もそこで書いています。だから文字が乱れてるのはご愛嬌。多少読みづらくても、目を瞑ってね。

最後に。何年経とうと、このサテライトが移り変わっていこうと、私はここであなたの帰りを待っています。ジャックに恋人ができて、結婚したりしちゃっても、待ってるから。あの日あの時、ジャックが私に素敵な言葉を贈ってくれた時間に、私はここにいます。決心がついたときで構いません。私はただ、待っています。

より xxx”



***




 発展を遂げたサテライトの中でも、唯一まだ手の加わってない場所がある。開発が追いついてないのか、それとも後回しにされているのか、はたまたほったらかしにされているだけなのかは分からないが、それがこの場所だった。とジャックの思い出の場所で、一世一代の愛の告白をされた場所。は今日も、ここでシティのネオンを眺めていた。

 遠くから急くようなモーメントエンジンの音がする。振り返る必要なんてない。誰が来たかなんて、確かめなくたって分かるのだ。

「やっと、会えたね」

 ジャンクの山をかき分けて迫り来る足音が、腹の底からせり上がる言葉が、目頭を熱くさせた。悲しいわけじゃないのに、今にも涙がこぼれそうだ。ああ、そうだった。嬉しい時にも、涙は出るものなんだっけ。

「…いつからここで待ってたんだ」

「さあ…いつだろう。覚えてないや。もう、日課みたいなものだったから」

 並んで隣に立つ彼は、と同じようにサテライトを見据えている。遠い遠い、昔の記憶が、かけがえのない思い出が二人の脳裏に蘇る。幼き二人の面影が重なった。

「オレはこれから旅立つ。世界のキングとなって、また奴と戦う」

「うん…」

 はそっと、ジャックに向かって手を差し出した。誘われるがまま、彼もその手を取る。二年越しの温もりが、二人の心を満たしていく。

「ジャックなら出来るよ。ジャックなら、本当のキングになれる」

 彼の指の隙間に指を差し込んで、軽く握った。手を繋いでいるだけなのに、まるで熱い抱擁を交わしているかのような気さえした。

「サテライトも、随分と変わったものだな」

「そうだね…手付かずなの、ここくらいじゃないかな」

「そうか…。だが、サテライトが変わっても、オレの中にはずっと変わらないものがある。オレは今でも、お前と生きる未来を夢見ている」

「…私なんかでいいの?」

「分からないのなら理解できるまで何度でも言ってやる。お前が好きだ、。オレはお前を愛している。オレにはお前が必要なんだ」

 視線が交わる。お互いの瞳に、お互いの姿が映る。まるで永遠のような時が訪れていた。

「オレがキングになれたら、迎えに来る。その時までお前の気持ちが揺るぎないものであったのなら、その時は、結婚してくれるか」

 冗談でしょ、なんて言うなよ。と彼は付け足した。その言葉に、は思わず吹き出しそうになってしまった。二人にとって後ろ暗いはずだった思い出が、今となっては互いを紡ぐ大切な思い出となっていた表れでもあった。

「ジャック、ありがとう。私をずっと変わらず愛してくれて、本当に、ありがとう」

 地獄の季節は去った。近づくことも、遠ざかることもなかったはずの二人の1メートルの距離でさえ、跡形もなく消え去っている。

 天国に身を投じているような気分だった。今まで経験したことのの無い、圧倒的な愛が二人の全てを包み込んでいる。どちらともなく、紡がれた手に力を込めた。痛くて、それでいてとても暖かくて。

 例えまた地獄の季節が来ようとも、愛おしいあなたと生きてゆけるのならどこだって天国になるのだろう。光差す未来が待っている。揺るぎない愛が確かに存在している。私はこの人が好きだ。好きで好きで、どうしようもないくらい、愛しているんだ。

 はとびきりの笑顔を向けて、言った。

「私でよければ、喜んで」



  •    end
  • 2018.07.06
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